沖縄県那覇市のプログラミングスクールなら「iTeen(アイティーン)那覇銘苅校」!!教育のプロが、プログラミングを一から丁寧に個別指導します。小学生から高校生対応!沖縄県那覇市のプログラミング、IT知識の個別指導「iTeen那覇銘苅校」

20数年前のITと社会
766 Views
         ただいま、体験授業随時開催中!まずはお電話!  フリーダイヤル 0120-370-270

iTeen那覇銘苅校です!今日も蒸し暑いです。自宅のエアコンは普段は自動に設定していますが、今日は除湿モードにかえてきました。2月にこの陽気・・・今年の夏はどうなることやら・・・。

さて、皆様は20年前は何をされていらっしゃいましたか?小学生?社会人でしょうか?

20数年前、日本に光ケーブルが北米からはるばる海底を通り、神奈川県のとある場所1か所だけに通っていたことをご存知の方はいらっしゃいますでしょうか?日本で海外とのメールやインターネットが可能だった場所で、私は8か月ほど研修をしておりました。


当時、日本ではラップトップ型(ディスプレイ、ハードウェアが分かれているもの)が主流で、デスクの半分をしめるような比較的大きなもので値段も個人が気軽に買えるものではなかったと記憶しています。また、メール機能も社内のみ、インターネットはまだ整備もされていませんでした。東京の大企業と霞が関のみが利用している状況で、地方では金融機関のみでした。


一般用PCは処理速度も遅く、立ち上がるまで缶コーヒーを飲み終えるぐらいで、通信状況も悪く、通信の時には ピー、キュルキュルキュル と音が鳴り響いていました。その音も今はないので、意味がよくわからないという方もいらっしゃると思います。

開発用PCはとても快適でしたが、それでもよく通信障害がおきており本当に気長に付き合っていたような感じでした。

会社の中ではお隣の開発チームは「マルチタスク」(アプリが最大10ひらけてそれぞれで処理が可能という程度ですが、当時は画期的)が完成したと騒いでいました。うちのチームリーダーは動画の取り込み(YOUTUBEではありません。)を完成させ、ATMに関しては構築段階でした。社内LANはまず、霞が関が率先して導入していましたが、そのメリットを最大限に引出せるような技術もまだまだで試行錯誤の段階でした。