こんにちは!iTeen名古屋金山校の村上です。
今、私が読んでいる古典に、こんな逸話があります。
■ある修行者の逸話
ある優秀な修行者が、長い時間をかけて学びを重ね、
自分なりに「悟った」と感じる境地に至りました。
そこで彼は、夜、師匠のもとを訪ね、
自分の理解や考えを語り尽します。
師匠はその話を黙って聞き、
「もう夜も更けた。今日はここまでにして、早く帰って休みなさい」
と声をかけました。
修行者が外へ出ようとすると、
師匠は一灯の明かりを持って、
足元を照らしながら見送ってくれます。
ところが途中で、
師匠はフッとその灯りを吹き消します。
突然、あたりは真っ暗になり、
驚いた修行者に向かって、師匠はこう告げます。
「今、語った“悟り”が本物であれば、
この闇の中でも迷うことはないはずだ」
その瞬間、修行者ははじめて、
自分が語っていた理解は、
まだ自分自身を照らすほどのものではなかったと悟りました。
知識や言葉として「分かっている」ことと、
自分自身の行いや判断を照らせることは、まったく別物。
本を読み、話を聞き、
正しそうな言葉を並べることはできても、
それが自分の足元を照らしていなければ、
闇の中では何の役にも立ちません。
■ 教室で見ている、小さな灯り
この考え方は、
教室で子どもたちと向き合っているときにも、
よく重なります。
難しい問題に出会い、
立ち止まりながらも考え続ける子どもたち。
まだ遠くを照らす光はなくても、
「ここまでは自分でできた」という
小さな灯りを一つずつ持っています。
「一灯照隅(いっとうしょうぐう)」
一つの灯りで、まず自分のいる場所を照らす。
名古屋金山校で大切にしているのは、
一気に正解へ導くことではありません。
今いる場所を、
自分の力で照らせるようになることです。
学びは、突然明るくなるものではありません。
でも、一つ灯りがともれば、
次の一歩は、ちゃんと見えるようになります。
今日も教室の中では、
それぞれの「一灯」が、静かにともっています。

