皆さん、こんにちは!
YumePro/iTeen北上校 教室長のゆめとです。

今回は、「読解力が危機的なレベルにある」という、国語教育の現場で今まさに起きている実態をもとに、私たちのプログラミング教室がどう役立つのかを考えてみたいと思います。
『ごんぎつね』の“恐るべき誤読”
皆さんは、『ごんぎつね』という物語をご存知でしょうか?
国語の教科書でもおなじみの名作で、イタズラ好きな狐「ごん」が、ある出来事をきっかけに人間・兵十に罪滅ぼしをするという、優しくも切ないお話です。
ところが、都内のとある小学校で、この物語を読んだ児童たちの意見に、大人たちは耳を疑いました。
「この鍋で煮ているのは、兵十のお母さんの死体だと思う」
「骨にするために煮てるんじゃないか?」
「煮て消毒してるんだと思います」
……信じられないかもしれませんが、これは冗談ではなく、真剣に話し合って出された“結論”だったのです。
なぜこんな誤解が生まれるのか?
この場面の正解は、「葬儀に集まった村人たちが料理をしている」シーンです。着物を着た女性たちが大鍋で何かを煮ている描写があるだけで、内容は明示されていません。しかし、文脈から考えれば「参列者への料理」だと分かるはずですよね。
ところが子どもたちは、物語の文脈も、常識的な想像力も働かせることができず、「鍋=死体を煮てる」という極端で非現実的な解釈をしてしまったのです。
しかも驚くべきことに、こうした“奇妙な読解”は珍しいことではないというのです。
『一つの花』で見えた読解力の断絶
『ごんぎつね』に限らず、戦争を題材にした『一つの花』でも、児童からこんな意見が出ています。
「お父さんはコスモスを盗んで金儲けしようとした」
「ゴミ捨て場の花を娘に食べさせようとした罰だと思う」
……いかがでしょうか?
この作品は、戦地に向かう父親が、貧しい暮らしの中でも娘に愛情を伝えようとする深い物語です。ですが、行間を読む力や、他者の気持ちを想像する力がなければ、こういった歪んだ解釈になってしまうのです。
「読めているつもり」が一番怖い
国立情報学研究所の新井紀子教授の調査によると、「教科書の文章を正確に理解できている子はクラスに2~3人しかいない」といいます。
本人たちは読めている“つもり”でも、実際には正しく読み取れていない。
これが、日本の子どもたちの「読解力崩壊」とも言える状況の正体です。
「読解力」とは、知識ではなく“思考力”である
「読解力」という言葉を聞くと、「国語の力」や「漢字の知識」と思われがちですが、本質は違います。
本当に必要なのは、
・文脈から意味を推測する力
・登場人物の気持ちを想像する力
・常識と照らし合わせる力
・客観的に自分の考えを見つめる力(批判的思考)
つまり、読解力の根底には「論理的に考え、想像し、つなげる力」があるのです。
そしてこの力は、実はプログラミング教育の中でこそ育ちやすいと、私たちは考えています。
プログラミングが読解力の“土台”を育てる理由
プログラミングでは、「こうすれば、こうなる」という因果関係を理解することが必要不可欠です。
たとえば教育版マインクラフトであれば、
・村人に話しかけたらどう反応するか?
・ドアが開くためには、何を先にしなければならないか?
・プレイヤーにストーリーを伝えるには、どんな順番で情報を配置するべきか?
というように、相手の視点に立って物事を考える力、ストーリー全体の流れを組み立てる力が自然と求められます。
Scratchでも、「猫が驚いたようにジャンプするには、どんな演出が必要か?」「セリフはどこで入れたら効果的か?」と考えることで、読解力と表現力の両方が鍛えられていきます。
プログラミングは、未来の国語力育成のカギ!
文部科学省もすでに国語の教科内容を改革し、「文学作品中心」から「論理的・実用的な文章理解」へと大きく舵を切っています。
でもそれに対応するためには、ただ文章を読むだけではダメなのです。
文章の背景を読み取り、相手の立場で考え、自分の思考を整理して伝える。
そんな力を楽しく自然に育てられるのが、子ども向けプログラミング教育の真の価値です。
YumePro/iTeen北上校の挑戦
YumePro/iTeen北上校では、単に「ゲーム感覚で楽しいプログラミング」だけで終わらせません。
・プログラムで物語を再構成する授業
・マインクラフトで論理的な建築や仕掛け作りに挑戦
・自分の考えを言語化・共有するプレゼン演習
これらを通じて、読解力の土台となる思考力・想像力・伝える力を、遊びの中で自然に育てています。
参考記事
文春オンライン「「死体を煮て溶かしている」『ごんぎつね』の読めない小学生たち…石井光太が明かす“いま学校で起こっている”国語力崩壊の惨状」